少し前になりますが、太宰府市の岩屋山に登ってきました。
このサイトでは、これまで登った低山を記事にしてみようと思います。
初回の今回は、太宰府市にある四王寺山(大城山・岩屋山)の登山日記です。
スタートは太宰府市の大宰府政庁跡。政庁跡を突っ切って市民の森方面に進みます。
登山口から登山道を20分ほど登ると戦国武将の高橋紹運さんの墓がありました。
高橋紹運は戦国期の猛将で、薩摩の島津氏との戦いによりここで将兵と共に討死されたそうです。
今ではのどかなハイキングコースとなっていますが、数百年前はここで壮絶な合戦が繰り広げられていたようです。
高橋紹運墓よりさらに登ると「馬責」というところに着きました。
戦国時代、ここには岩屋城という山城が築かれていたそうです。この馬責という場所は、馬の調練をする場所だったらしいです。こんな山の上に馬を連れてきていたというのが驚きです。
そんなに広い場所ではないような感じですが、昔はそれなりの広さがあったのでしょう。
昔の日本の馬はロバやポニー並みの大きさだったと昔読んだ小説か何かに書いてあったので、そんなに広い場所じゃなくてもよかったのかもしれませんが・・・。
更に登山道を進み、車道を横切って少し登ると岩屋山頂に到着です。
山頂からは大宰府や大野城市が一望できます。春には桜の名所になるらしい岩屋山です。
四王寺山はここから大原山や大城山をぐるりと回る周回コースになっています。時間があるのでもう少し進んでみましょう。
少し逆戻りして焼米ヶ原の方に進み、しばらく歩くと増長天礎石群に到着します。
ここから東に進むと大原山、西に進むと大城山。どっちに進んでもぐるっと一周できるのですが、今日は西の方、大城山に進んでみました。
ちなみに、この増長天礎石群とは蔵が置かれていたときの基礎の部分らしいです。
コンクリートで固めているのは劣化防止のためで当時からこんな感じだったわけではありません。
大城山方面に進むと、〇番札所というのがやたらと出てきます。四国のお遍路さんみたいです。
「33ヶ所石仏」となっているので33ヶ所あるのでしょうね。
遍路しているわけではないのですが、素通りするのも罰当たりなような気がしたので逐一手を合わせてある歩きました。
増長天礎石から30分程度で大城山に到着。しかし展望はゼロ。
山頂はお宮さんになっているのでお参りして下山しました。
ちなみに、大城山の少し手前あたりに展望が利くところがあります。